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失敗体験の重要性

2017.09.14

今回は、成功体験より「失敗体験の方が意味がある」と言う話をしたいと思います。

ただ、今の時代の価値観が正しいと言う前提であれば、今から私が話すことは間違いだろうと思います。しかし、20年後30年後に今の考え方が間違いだったと言う時代が来るかもしれないと言う前提で話をすると、「言われないとできない」、「言われた事しかしない」、「努力するより日々楽しいほうがいい」という若者が多いのは間違っていると思います。自殺する人が増え、頑張れない、やる気がない、要領が悪いという人が若者で増えてきていると言うのは、様々な企業の人事担当者も言っていることであり、それが現実です。

これまでの教育でずれていると思うことがいくつかあります。その中の1つが今日のお話しする「子どもに成功体験させましょう、褒めて育てましょう」という教育です。子どもがやったことに対して褒めること、成功と認めてあげるということは重要です。ただ、親や教育者が安易に、子どもに『成功したね』と言うと、最初は喜ぶのだろうけども、回数を重ねるにつれ、喜びが薄くなります。成功体験が多ければ多いほど良い、とは決して思いません。ましてや成功とは何なのか客観的な問題があります。

跳び箱を例に話をしましょう。

小学校3年生の子が跳び箱を5段跳びます。そして、実際に跳べた・・・・成功です。安易に成功体験をさせようとすると、「出来ることをさせる」と言う事になってしまいます。成功体験というのは、元々は自覚の問題であって、自分が成功したと思えば成功、失敗したと思えば失敗です。自分ではもっと跳びたいという風に思っている男の子に、5段が跳べたからと言ってお母さんが褒めてあげると、もしかしたらそこで妥協して、それ以上はやらない子どもに育ってしまうかもしれません。いままで5段跳んでいたんでしょ。6段頑張ろうよ。7段跳べるようになろうよとチャレンジさせることが、子どもをさらに成長させる、さらに能力を引き立たせることであるのに、安易に褒めてしまうと、褒められた子どもは、そこで妥協してしまいます。あるいは、褒められたことを喜びに感じてしまう子どもを作ってしまうと、褒められることしかやらなくなります。つまり、7段は跳べないから、5段を跳ぼうとする子どもができてしまう。つまりチャレンジしない子ができてしまうということです。

 

また

自分の考え方次第で、成功かどうかが決まります

もしその子が成功しようと思っていなければ、成功とは言えません。単純にやったことに対して、成功とは言いません。出来ない事にチャレンジし、それができたときに成功というのであって、何段が客観的に飛べたからといって成功ではありません。それを親が成功と認めてあげて、褒めてあげるのも、実は本人がやろうとしていたかどうかが、判断基準になるのです。子ども自身が、今の能力よりももっと上の能力を身に付けないとできないことに挑戦して、それができたときに初めて成功と言うのです。5段が跳べる子が、いつものように5段を跳んだところで、成功とは本人は思いません。うまく跳べる時と跳べない時があって、うまく跳びたいと思った子どもが、5段を平気で上手く跳べるようになったとすれば、それは成功です。でも平気で上手く跳べるようになった子が、さらに5段を跳んだところで、成功とは思えず、6段を跳ぼう、7段を跳ぼうという跳べないものに挑戦し、その先に跳べるようになった時点で、成功したと実感して喜びを感じます。

つまりそれを論理的に考えると、

5段しか跳べない子が7段を跳ぼうと思った時には、7段が跳べないのだから、6段も失敗し、7段も失敗しというのを、繰り返すことになります。

それを繰り返した結果、いつか跳べるようになった時が成功なのであって、これを前提に考えると、何十回何百回と67段を失敗することが必要となります。

そうすると、7段を跳ぼうと思った子どもは、5段でも何回も失敗し、6段でも何回も失敗し、何十回何百回という失敗があった結果、最後に跳べました。それが成功となります。

つまり、一つの成功をするためには、何十回何百回という失敗が必要です。失敗したからこそ、成功しようという意欲がわき、何百回も失敗した結果に跳べるようになったら、その何百回と失敗の分だけ大きな喜びが得られるので、大きな成功は大きな喜びを生み、そのためにはそれに匹敵する、とびきりの失敗、何百回という失敗が必要なのです。

 

つまり、成功に伴って絶対に必要なのは必然的に何百回という「とびきりの失敗」です。その失敗が多ければ多いほど、大きな課題に挑戦したと言う事であり、成功したことに対する大きな喜びが得られます。だから安易な成功というのはなく、成功した時に子どもに褒めてあげるという回数は極めて少ないということになります。そこで必要なのは「褒める」ではなく「励ます」でしょう。失敗したからといって、怒る必要はないけれども、本人が悔しがる必要は絶対にあります。悔しいと思うためには大きな目標を設定し、いつか跳べたときに、親が褒めてあげるよという声掛けが必要なのであって、褒めることが必要、褒める回数が必要なわけではありません。失敗を見守り、子どもを信じてあげる勇気と、子どもを励ましてあげる気持ちが、親や教育者には大事であり、日ごろはそれに挑戦させるだけの環境を作り、声をかけ、失敗をしてもくじけない、失敗をしても諦めないという教育が必要になります。

子どもは失敗をして泣くかも分かりません。でもそこを可哀そうだと思う必要はなく、悔しい思い、つらい思い、しんどい思いをしている子どもに対して、きちんと親としての心構えを持って、愛情のある励ましの言葉をかけてあげることが大事です。見守って励ましてできるようになったときに、きちんと褒めてあげることで、チャレンジする気持ちが育ち、チャレンジする勇気が育ち、工夫をし、自分で考える自主性をもった子どもが育っていくのです。

 

子どもには失敗経験こそが必要で、その結果の成功経験しか存在せず、安易な成功体験は成功体験と言えず、あくまでも失敗を繰り返した後の成功体験にこそ成功体験としての価値があります。日ごろ子どもにとっては失敗が必要です。親が安易に褒めてあげたり、成功体験をさせたいと思うのは、実は逆効果である場合がとても多いと考えます。多くの子供たちをこれまで見てきて思います。実は、「子どもはもっと頑張れる。大きな可能性を持った生き物」なのだと。

目の前で実際に子供が「出来ない」と口にしていても、そこを励まし、時には叱り、でも、前を向くことを教えると、みんな純粋に頑張ります。親や大人は直ぐに「あ~出来ないのか」「可哀そう」と思ってしまいがちです。その安易な優しさは、時として子供の可能性と成長を阻害してしまいます。

ここ数十年の学校教育や、子育て感の中で、成功体験をさせよう、褒めて育てようというのは、実はチャレンジしない子どもを作り、安易な妥協をしてできることしかしない、そんな若者を作ってしまっているのではないでしょうか。

 

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